1978-03-29 第84回国会 衆議院 文教委員会 第9号
その教員問題を検討するために小委員会を設けましたが、その小委員会のメンバーは、駒場東邦高等学校中学校長の高山正雄先生、それから国立教育研究所の平塚所長、その他五、六人であったかと思いますが、そういう方々で、現在までのところ小委員会を四回ぐらいやっておったかと思います。
その教員問題を検討するために小委員会を設けましたが、その小委員会のメンバーは、駒場東邦高等学校中学校長の高山正雄先生、それから国立教育研究所の平塚所長、その他五、六人であったかと思いますが、そういう方々で、現在までのところ小委員会を四回ぐらいやっておったかと思います。
これはどういうふうにして來るか、これは全然見当がつきませんし、ただ雜誌なんかは引揚船が行つた場合に、宗像肇、それから高山正雄、この両名がナホトカに來まして船を探します。船の中に必ず雜誌があります。この雜誌はいわゆる労働の機関誌であります。これは必ず入つて來まして、それはいつも四部か五部持つて参りました。これらの新聞の資料が日本の事情を傳えるために非常に役立つたのであります。